台風逃れの旅ー帰仏

台風逃れの旅ー帰仏

2年ぶりに帰ったジャポン。

降り立ったジャポン。

ご時世問題(はっきり書こう!戦争のせい)で、長かった。。

思い返せば、コロナからの戦争。時代が進んだといえ、

中々、ジャポンとの距離は縮まらないなー。

毎回のように、帰る時まで「あーめんどくさい」と思ってしまう自分。

コロナは、いつも通り自分あるあるで、自分が到着する次の日から、陰性証明が要らなくなり、逆を言うとぎりぎり自分まで陰性証明とって出してね!ってやつ。

出だしっからそんなんだったけど、今回の帰国は、母の15年祭の法事が目的だったのだが、、

いざみんなで集まって、お墓の前で神主さんと話していたら、

(あ、うちは九州の家なので、神道で神主さんなのん。回忌でなくて、祭なの)

「何年に旅立たれましたか?14年ですね、既に」

あら?15年でなかった???と全員気づかす1年間違えるという。

そんなこんなで、無事にお母の法事も一年早く終わり、

おとおと一緒におとおの田舎の鹿児島で、おとお側のお墓参り、30年ぶりに従姉妹とも再会し、おとおと別れた鹿児島から1週間の旅に出た。

今回は1週間九州旅のつもりだったのだが、例によって大型台風の、、まさに、あの時期で、毎日天気予報見ては、「いかん。やつは明日にはここにやってくる」と結局早々に九州を離れたー。

本当はさー

ゆっくり色々回りたかったのにさー

駆け足で、鹿児島、熊本、福岡により、

急いで大阪経由で金沢へ。

金沢は予定にはなかったのだが、天気予報見たら、そこだけが台風影響なさそうだったから。

友達に能登半島も連れてってもらって、伊勢へ!お伊勢さん!中学生ぶりのお伊勢さん。死ぬまでに一度は伊勢まいり。のお伊勢さん。

神楽祭にいたのに、これまた雨の為に中止。

だけど、自分がお参りしてた時は、まるっきり降ってなかったけど。

名古屋でひつまぶしを食べて、帰宅。

今回の移動では、毎回、自分の乗った新幹線、電車の1、2時間後から運転休止になっていたり、一瞬でも途中でTOKIOに帰ろうかと思っていたが、それも次の日のニュースではTOKIOさえもすごいことになっていた。

熊本だけ、ちょっと1時間だけ傘さしたけど、基本うまく逃げ切った旅だったと思うのさ。9月は台風の季節ね。本当に。。

観光外人にはおすすめしないぜ。

今回思った、感じたことは、

自分、日焼け止めとつけるけど、暑かったらガンガンにノースリ切るし、既におフラでの夏休みで、激アツ南仏でガングロになっていた。

そんな感じで、ノースリ、変なパンツ。たまに、ボロボロレースブラウス。

の出立ちなので、なんか聞く時に人に話しかけたりすると、

いよーに、「何?変な人が話しかけてきた。。。な、何。何ですか?」みたいに、あからさまに嫌な顔をされることが多かった。しかもそれに老いが入ってるからなおさらかも。。ジャポンにいるみんなはキレイにしてるからなー。この出立ちで、顔も外人だったらいいんだろーけど、バリバリのアジア人顔だからなー。

ちょっと悲しかったかも。

でも、しょーがないな。それが自分だからな。。。ふう。

旅以外にも、細かい色々が満載で楽しいジャポン滞在でした。

青春を一緒に過ごした大所帯の友達とも会えたしー。みんな順調におっさん、おばさんになってたけど、話している内容変わらず、でそーゆー仲間貴重だなと、実感。

お笑いライブの会場前で、自分のコートが轢かれて、引きずられて車両の真ん中に落ちていたことや、その帰り、地元の駅で、チャリのサドルが盗まれていたこと、なんかもういい思い出さ!

サドル盗まれた一件なんか、がっかりして次の日、おとおに話したら、

「そんな奴いるんかー、でも、俺も前に盗まれたから、隣の盗んで帰ったよ」言ってて、

 

 

「お前か!!」

 

と思って、なんかどーでも良くなったし、その後、後ろの荷台に乗ってハーレーみたいに漕いで近所の自転車屋へサドル買いに行ってたおとおを見て、

さらに大した事なかったな。。と思った。

楽しい滞在も終わり、反対回りで北極海上を通って、異様に長く感じながらおフラに帰ってきたが、毎回帰ってからは、すぐにおフラの生活に慣れず、なんならフランス語、、、なんだっけ?ぐらいになってて、円安だの、フランスの社会保障の異様な高さなど、帰って1週間だけどいまだにぎゅっと縮こまっている自分なのでした。

 

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