ああ、もう10年祭 (全くの独り言なので非推奨)

今年もちょっとだけ恒例の期間限定国内発送の受付をしております。

すでに、荷物がパンパンな様子で、「持てるかな。。」と思っているのですが、

ギリギリまで頑張る。

 

ここ近年、ちょっと恒例でこの時期帰ったりしているのだが、

これには理由があって、

毎年何やら法事があったりする。

 

うちは、とっても小さな家族なので、少ない親族(特に娘)の自分が欠席するわけにもいかない。というか、

おとおは「来なくていいよ」というが、自分が納得いかない。

 

おかあの法事がない年は、おばーちゃん、おじーちゃんなどと、

この歳になると、そんな用事が多くなり、唯一去年いとこの結婚式というおめでたい行事があったけ。

 

今年は節目の10年祭。

我が家は、鹿児島出身の家なんで神道で、ちょっと仏教とは年数の数え方が違ったりするらしい。

 

それにしても、もう10年。

 

長いようで、やっぱりあっという間。

 

自分は、おかあには死ぬほど心配をかけて、実際、自分のせいで死んだのでは?と思った。(いまもそう思ったりする)

立ち直るのに正直4.5年かかった。

今でも、思い出すだけで泣けてきてしまう。

 

しかも、誰もが思いもよらない感じで、イキナリ、あっという間に逝ってしまったので、

もう後悔しかなく、、だった。

 

夜中に、おとおからメールがきてて、

 

うちのおとおは、本当にぶっきら棒なので、電話もしないし、メールもしないし、、なんだけど、

メールで1文、「おかあが死んだので帰ってきなさい」と書いてあった。

死ぬことなんか1mmも考えてなかったから、信じられず、すぐに家に電話をしたら、

声だけで、見えなくても、力が抜けて座ってるのもやっとのおとおが想像できた。

声を出すのがやっとな感じで、

「そういうことだから。葬式はお前を待つから」と。

 

次の日に、速攻、一番早い日本行きのチケットを取り、最速でも次の日出発、時差もあり到着は翌日。

 

すっごく急いだのに、電話をしてから、もう3日経ってた。

9月だったので、まだ暑く、家に置いておくと腐っちゃうらしく、、会った時は、お葬式会場の大きな冷蔵庫におかあは入っていた。

 

今まで、多分これからも、あんなに泣いたのはないと思う。

もう1週間以上、ずーっと泣きっぱなしだったし、止まったと思っても、やっぱり直ぐに泣いてしまっていて、

よくもまあ、こんなに泣けるものだと思った。

 

あれから、もう10年か〜。

 

おかあは、とっても神経質というか、真面目な性格だったので、

どちらかというと、お気楽気ままなおとお似の自分のような娘は、それはもう心配のタネでしかなかったと思う。

 

女の子は、子供を産んで、家族を持つのが1番幸せ。

と散々言われていたのに、結婚したかと思えば、離婚して海外行って〜しかも帰ってこね==!!

とかいって、どーしても居なきゃいけない事をフランスでやってるわけでもなく、

 

==しかも、、何やら、しんどそうだぞ??==

 

と、理解に苦しんだと思う。最後まで理解はされなかった思う。

そりゃそうだ、まるっきり真逆の事してるんだから。(今でも)

 

さらに、当時、前の古着バイヤーの会社を辞めて、異国で無職だったから(いや、いまのこの仕事を始める準備か、もしくはちょっと初めていたかも)

最後に会った時にも、そんな状況を隠してた。どーせさらに心配させるだろーし。

 

前に、家で見た自分が高校生の時の入学式で一緒に写ってたおかあ、おそらく今の自分より若い気がする。

それに比べて、今の自分、一体何してんだか。。

 

10年経った今も

こんなそんなの後悔は微塵にも消えないけど、

人は生まれた瞬間から死ぬことが決まっている、という事で、身内が死ぬことがある。という事を学んだ。

実際、おとおがいつか逝ってしまった時は、おとおの性格もあるかも知れないけど、明るく受け入れることができる、

、気がする。

 

いろんな家族がいて、自分の人生は親のものでもないし、ということで、

自分に一番できる親孝行は親より先に逝かないってことかな〜と思った。

まさに、死ぬこと以外かすり傷。っす。

 

と、さらっと10年前を振り返りつつ、

 

昭和歌謡も振り返る。ああ、素晴らしい。

今でも、ピッカッピカな80年代歌謡曲。

 

ちなみにおかあのお気に入りは、ルビーの指環。

 

80 90年代の歌謡曲のあるある言いたい〜 今すぐ言いたい〜

もったいないけど言うよ〜〜 今直ぐ言うよ〜〜〜

 

昭和歌謡曲は、「ラララー、ルルル〜。トゥルトゥ〜」で曲終わりがち〜〜〜。

 

 

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